-
八月九日の佐輿子さん 下妻みどり著
¥1,200
下妻みどりさんの最新のZINEです。 原爆で行方不明になったままの下妻さんの祖父のお姉さんのことを書かれています。 「自国優先主義の極みである戦争が、一人一人の生身の人間になにをもたらすのかがよくわかります。それは、一人の人間の死が、よくわからなくなることです。どこでどうやって死んだのか、一言の別れも悼みもないまま、骨すら拾い、拾われることも叶わない。その一例です。 でも、私は佐輿子さんの存在に「死」だけでなく、少しでも彼女の「生」を見出したかった。そんな試みの記録でもあります」 (下妻さんのインスタグラムより引用)
-
長崎樂論集 プロシッサンの彼方 下妻みどり著
¥1,700
長崎の季刊誌『樂』に寄稿されたものの中から、長崎の土地や町にまつわる文章をまとめた一冊です。(A5サイズ) タイトルのプロシッサンとは<行列>のこと。本の中の写真もすべて下妻さんが撮られたものを使用されています。
-
11月18日を歩く 下妻みどり著
¥1,500
下妻みどりさんの2022年発行のZINEです。(A5サイズ) 「長崎のいちばん古い町の姿を残す1619年11月18日の殉教の図。絵と当時の記録を読み合わせながら、西坂で炎に包まれた五人の足跡をたどって歩いてみました」(見本表紙のことばより) 表紙の色は赤・青・緑がありますが、こちらで選ばせていただきます。あらかじめご了承ください。
-
長崎サウダーデ食堂 下妻みどり著
¥1,200
下妻みどりさんの2023年発行のZINEです。(A5サイズ) 「長崎のいつかどこかの路地裏の食堂で、おばちゃんが昔の長崎の話をしてたら、400年前に生きてた人が入ってきて、その人になんかおいしいものを作る…」(下妻さんのインスタグラムより引用)
-
ルーキー古老とはずがたり 下妻みどり著
¥1,200
下妻みどりさんの2024年発行のZINEです。(A5サイズ) 今回は昭和後期の長崎の世界を書き記しています。 「私もぼちぼち、新人の「古老」として、子どものころ…昭和後期…の風景を記しておいてみようかな」 「原爆で傾いていた家、中央橋の歩道橋の下に住んでいたおじさん、街角のポスター、次々にできたオシャレなビル、学校帰りのおいしいもの…」(下妻さんのインスタグラムより引用)
-
『ながさき開港450+3年めぐり』 下妻みどり著
¥500
『ながさき開港450年めぐりー田川憲の版画と歩く長崎の町と歴史』の発売から3年。この3年で長崎の町は大変化。そして今なお変化中です。 この度3年の間の町の変化をまとめたZINEが完成‼︎ もう忘れてしまった出来事も記憶に新しい出来事もぜひご一読ください! A5サイズ 24ページ
-
長崎手帖の田川憲
¥500
1956-1968年の間に40号まで発行された、「長崎手帖」。発行人は田栗奎作さん。おひとりで取材・執筆・編集・営業・販売をされて続けられた冊子です。田川憲は表紙の小さな版画や寄稿などを寄せていました。 その田川憲の部分を切り取ったスペシャル版を下妻みどりさんが作成くださいました。
-
【全号まとめ買い!】長崎手帖をよむ vol.1〜vol.6
¥3,000
『長崎手帖をよむ』vol.1〜vol.6 まとめ買い! 1956-1968年の間に40号まで発行された、長崎手帖。発行人は田栗奎作さん。おひとりで取材・執筆・編集・営業・販売をされて続けられた冊子です。 2020年に、長崎のライター下妻みどりさんが『長崎手帖を読む』という全6回の講座を開催されたのですが、この度講座の内容を書き起こし、小冊子を作られました! 下妻さんお手製のPOPにも「ライブ版」と書かれていますが、読み進めるとなんというか、とにかくグイグイくるのです。まるで実際に講座を受けてるかのようにライブ感覚で引き込まれるー‼︎という感じ。冊子でこの感覚はなかなかないし、長崎手帖を楽しむための手解きとして、ぜひ手にしていただきたいです。
-
『戦争の中の〈美心〉ー版画家田川憲「上海日記」・木刻小報『龍』を読み解く』大橋毅彦著
¥13,200
SOLD OUT
【入荷済み】 順次発送いたします。 *************** 「長崎の版画家」田川憲が戦中に上海で残した日記と作品の数々が初めて読み解かれる。悪化する時局の中で、日本と中国の「版画的文化交流」に尽力した足跡は、芸術家と戦争の関わりの多面性を如実に伝える。 30年にわたり上海と日本文化を追い続ける編者が詳細に読み解くその〈美心〉のゆくえとは。 1939年の暮れから、1942年9月まで記された断片的な日記(影印)に加え、1941年に田川憲が設立した「上海版画協会」などの活動報告誌であるとともに恩地孝四郎、金子光晴、内山完造なども寄稿した幻の個人誌『龍』など、戦争と芸術の関わりを伝える貴重な記録を、170ページを超える充実した解説と注釈を付して届ける。 はじめにー芸術と戦争 1田川憲と長崎 2上海という舞台 3「上海にて」(「上海日記」)の構成 4第二次上海事変後の上海 5色事師の街への嫌悪 6表南洋への憧れ(1) 7表南洋への憧れ(2) 8支えとなる長崎の人たち 9長崎南山手の「ロシヤ寺」 10高井家兄妹との交流 11長崎時代の相棒たちのその後 12本の中で出会った西洋の美術家たち 13ヘッセの青春小説に親しむ 14火野葦平と横光利一 15美の故郷をグウルモン詩に見出す 16時代の暗流との遭遇ー耿嘉基という政治家 17楊樹浦の片隅で暮らす異国の人たち 18長崎でのロシア人とユダヤ人の記憶 19ロシア人タリアプコの荒い生き方 20『大陸新報』連載の「ルナール『葡萄畑の葡萄作り』より」 21『大陸往来』に掲載された作品 22個人版画誌『龍』 23上海版画協会の設立とそこに集った人たち 24興亜院華中連絡部とのつながり 25『興亜童謡かるた』の制作 26版画講習会々場となった上海青年館 27文化の戦争という側面 28魯迅と中国現代木刻 29田川憲の中国木刻批判(1) 30田川憲の中国木刻批判(2) 31田川の木刻作品「杭州紫来洞難民」 32〈難民〉を描くということ 33ちょん切られた首のある版画 34「江頭聞鶯」制作日誌と戦争の中の美 35〈美心〉の位相 36白い静物たち 37版画技法の向上をめざして 38「華中風物六景」の輪郭 39「弄巷夜景」に見られる紫のグラデーション 40「蘇州虎邱」から「長崎の庭(迎陽亭にて)」へ 41 戦(いくさ)に傾く心 42次なるステージへ 版画に念ずる心 田川俊 田川憲「上海日記」注釈 大橋毅彦 <資料編> 「上海日記」1939/12-1942/9 田川憲 個人版画誌『龍』1・2号 復刻版 あとがき 大橋毅彦 発行:琥珀書房 A5判 重さ 480g 336ページ 価格 13,200円(税込)
-
【長崎手帖シリーズ】シナゴーグ 猶太(ユダヤ)教会
¥4,000
SOLD OUT
長崎の梅香崎にあった日本で最初の猶太(ユダヤ)教会を作品にしたものです。 長崎手帖17号(1959)の表紙用に彫られたものと、色摺りの作品も作られました。 建物はもう残っていませんが、手前に彫られている石段は今も見ることができます。 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
【長崎手帖シリーズ】赤寺興福寺
¥4,000
長崎で赤寺と言えば興福寺。その大雄宝殿の版画です。その屋根の反りの美しさを田川憲は「おおらかな大陸の反り」と表現しました。<長崎手帖12号(1958)掲載> 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
【長崎手帖シリーズ】中島聖堂
¥4,000
こういう風景の版画をつくっていて心が傷むのは、長崎の人は、何故こんなものを大事にしないかという事である。(中略)現在、興福寺境内に移築されて消滅をまぬがれたが、それにしても長崎人は根本的に考え直さねばならぬと思う。<長崎手帖38号(1965)表紙の言葉より> 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
【長崎手帖シリーズ】ドン山
¥4,000
SOLD OUT
明治・大正・昭和に正午を知らせていた大砲のことをドンと言っていました。右手下の建物は大浦中学校。その上のポールが立っている所は、ラジオ長崎発信所。その左手の丸い山は愛宕山、後方の高い山は彦山、そして左端の山は烽火山である。<長崎手帖15号(1958)版画のことばより> 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
【長崎手帖シリーズ】落日の庭
¥4,000
大浦天主堂へ登る坂の下にモータープールがあって、その向こうの急坂に隣接しているのがこの九番(南山手)である。<中略>この家は倉場富三郎さn終焉の所として私の心を傷ましめる。この庭から港を通して見た落日は印象的であった。落日の庭という言葉が私の頭の中で、グラバーさんと結びついている。<長崎手帖37号(1965)表紙の言葉より> 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
【長崎手帖シリーズ】東山手活水前
¥4,000
よき長崎のイメージを保っている所といえば、僅かにこの活水前の一画あるのみとなった。 一つの点だけが完全であれば、周囲はどうでもよいという考え方に私は反対である。周囲の雰囲気を、面として題字にしてもらいたいと思う。その意味でもこゝは長崎随一の風景だといっても過言ではあるまい。<長崎手帖34号(1964)表紙のことばより> 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
【長崎手帖シリーズ】清水の舞台
¥4,000
清水、八坂、祇園、愛宕、などという京風な名前をもつ此の界隈は、実にしっとりとした風情をもっている。しかも此の舞台は板張りではなく石畳であるのも、流石は長崎である。ここはまたピエール・ロティの小説「お菊さん」の舞台にもなっている。話によるとこの唐船海上安全の祈願石燈籠は「長崎三燈籠」の一つだとの事であった。他の二つは金毘羅山と大徳寺にあり、共に三つ足なのも面白い。<長崎手帖32号(1963)版画の言葉より> 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
【長崎手帖シリーズ】旧出島五番館
¥4,000
フランスの葡萄酒商ピナテールが住んでいた家。ピナテールが遊女の思い出を40数年も守り続けて生涯をとじたのは有名ですが、今にして思えば、長崎そのものを愛し続けた外国人の一人でもあったようです<長崎手帖40号(1968)表紙・長崎手帖発行人 田栗奎作さんの言葉より> 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
【長崎手帖シリーズ】浦上天主堂
¥4,000
我々は赤煉瓦を一枚一枚積み上げた嘗てのみどうを知っている。今のはコンクリートである。原爆はそれほど浦上の相貌を一変せしめた。変わった。確かにその表面は変わったと思う。しかしこの天主堂に関する限り、その深い層の流れは変わっていない事を悟る。宗教を含めた大きな時間の流れを考えると、歴史はおそろしいものだ。天主堂がこゝにあるという事に一種の安堵めいたものを我々は受けるのである。<長崎手帖29号(1961)表紙の言葉より> 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
【長崎手帖シリーズ】タイムボール
¥4,000
SOLD OUT
鍋冠山の中腹にあったタイムボール。長崎港内の船舶向けて、正午に赤い玉を落とし正確な時刻を知らせる信号の役割をしていた。<長崎手帖16号(1958)掲載> 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
【長崎手帖シリーズ】アメリカコンセル
¥4,000
大浦海岸通りにあった旧アメリカ領事館です。居留地時代を語る代表的な建物の一つであったとして、版画が彫られました。今はもうなくなってしまった建物です。長崎手帖21号(1959)の表紙となったものです。 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
【長崎手帖シリーズ】浜屋民芸品部
¥4,000
長崎市内にある浜屋デパートの民芸品部の「あなたの暮らしはもっと楽しく、豊かになります」という広告に寄せた版画です。 2枚目の画像は、長崎手帖25号(1960)に掲載された当時の広告です。 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦6.5cm×横9.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
葡萄(単色摺り)
¥4,000
SOLD OUT
モチーフになったのは、長崎の国際墓地にある墓標のレリーフを版画にしたものです。 葡萄は多くの実と種をつけることから、子孫繁栄を願ったものと言われています。 外寸:縦17.5cm×横12.8cm×奥行1.2cm 内寸:縦5.8cm×横4.6cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。 版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
牛わらべ(多色摺り)
¥5,000
SOLD OUT
牛に乗った子供をモチーフにした作品です。 民藝品なのかもしれませんが、詳細はまだわかっていません。 子供の成長を願った玩具のようで、昔からある題材です。 外寸:縦13.0cm×横17.5cm×奥行1.5cm 内寸:縦7.3cm×横11.2cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。 版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。
-
炭鉱
¥4,000
SOLD OUT
以前は場所は不明なのですが…と書いていたのですが、情報を寄せてくださった方がいて、少しずつわかってきました。 長崎県北部の江迎炭鉱の空中索道ではないかとのこと。見せていただいた写真も作品ととても似ていた構図でした。 外寸:縦15.0cm×横11.3cm×奥行1.7cm 内寸:縦8.8cm×横7.0cm 和紙・アクリル使用 ※こちらの商品には箱がございません。緩衝材で梱包してのお届けとなります。 注意:これらの作品は田川憲の孫 田川俊が後摺りとして摺ったものです。田川憲本人による摺りではありません。 版画は手摺りのため、かすれやにじみ等がございます。ご不明な点がございましたらお問合せくださいませ。 ■■■「とれー・でゆにおん」について■■■ 版画家田川憲は、小さな版木や活版印刷の鉛版も多く作っていました。 それらは年賀状として、またあるものはマッチ箱の絵柄として。 目的を達した後、そのほとんどは残ることはありませんでした。 作品名さえ今はわからなくなった小さな版画ばかりです。 画家は生涯に五百点ほどの版画作品を制作したと回顧しましたが、図録に収められた版画は一部でしかなく、今はもう見る機会がなくなった作品たちに、いつか光を当てたいと思っておりました。 残された手記に『とれー・でゆにおん』というものがあります。 お気に入りの作品を持ち帰り、芸術を身近に置いてほしいと願っておりましたが、現在、田川憲の版画作品を手にすることは難しくなっているようです。そこで、小さな版木や鉛版を後摺りとして作成しました。 手記の中にあるように、みなさんの生活に、お気に入りの作品を選んでほしいと願っています。